2005年
11月
24日
(木)
12:12 |
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只今、全社集会中。
僕にとっては偉い人々の念仏タイムであり、ある人にとっては、現代社会の「勝ち組」たちのありがたい言葉をいただくイニシエーションタイムでもある。
僕にとっては偉い人々の念仏タイムであり、ある人にとっては、現代社会の「勝ち組」たちのありがたい言葉をいただくイニシエーションタイムでもある。
2005年
11月
24日
(木)
01:35 |
編集
先週末、都内の某禅寺での坐禅会に参加してきた。
最初の30分は、坐禅堂における作法講習。いわゆる箸の上げ下げにいたるまで細かい決まりを教えられる。曹洞宗だからこその様式へのこだわりなのか、仏教全般はそうなのか? 知識がまったくないので分からない。
そして、40分間の坐禅に入る。ここでは中央の広いスペースを背にして壁に向かって坐る。警策を持つ僧侶が後ろを行ったりきたりするたびに法衣のすれる音と足音とが静かな坐禅堂に響く。その歩く姿が、目の前の壁に黒い影となって映っている。はっきりいって落ち着かない。警策での叩かれ方も指導されていたので、はっきりいって気が気でない。集中できないまま40分が過ぎる。
すぐさま10分間の経行(立ち歩きの坐禅)に移る。足がしびれまくっていたので足元がおぼつかない。2分くらいで足に血が通いはじめ何とか歩けるようになる。
この日は40分の坐禅が2本だったため、その後またしても40分の坐禅に突入する。1回目とは左右の足を逆にして坐ってみた。腰痛持ちなので、2回目の組み方だと腰にきたが、後の祭り。これは堪えるしかない。1回目よりも身体が安定せず、かつ体温調節がうまくいかないため嫌な汗が滲んでくる。集中できない。汗がひいて落ち着きを一瞬取り戻しても、また身体が火照ってきて気になる。雑念は左から右に流してください、と指導されていたが、気になって仕方がない。半分を過ぎたあたりから足の痺れがきつくなってくる。合掌してから、組み替えてもいいと指導されていたが、1回目が終わったあとも足を解くのに難儀していたため我慢してみた。しかし、だんだんと耐えられないくらいの痺れになってくる。滲む程度で済んでいた汗が、噴き出しはじめた。いよいよダメかと思って、合掌の上、足を解こうとしたが、やはり簡単には解けない。大きな動作になると物音が出そうだったので、我慢を決め込むことにした。額や首筋にかいた汗が、顔にまで流れはじめた頃、ようやく終了の鐘が鳴らされた。足をなんとか解き、内単から降りるのも一苦労。その後決められた歩き方で堂を出ないといけないのだが、まともに立てない、歩けない。よろけるよろける。僕と左隣の初心者も同様で、フラフラしていた。
フーッ、こりゃ苦行だ。
続けられるか、ちょっと自信なし。先日の楽しいワークショップとはエライ違いだった。修行というくらいだから当たり前なんだろうけど。
そんなこんなで終わったのであった。
最初の30分は、坐禅堂における作法講習。いわゆる箸の上げ下げにいたるまで細かい決まりを教えられる。曹洞宗だからこその様式へのこだわりなのか、仏教全般はそうなのか? 知識がまったくないので分からない。
そして、40分間の坐禅に入る。ここでは中央の広いスペースを背にして壁に向かって坐る。警策を持つ僧侶が後ろを行ったりきたりするたびに法衣のすれる音と足音とが静かな坐禅堂に響く。その歩く姿が、目の前の壁に黒い影となって映っている。はっきりいって落ち着かない。警策での叩かれ方も指導されていたので、はっきりいって気が気でない。集中できないまま40分が過ぎる。
すぐさま10分間の経行(立ち歩きの坐禅)に移る。足がしびれまくっていたので足元がおぼつかない。2分くらいで足に血が通いはじめ何とか歩けるようになる。
この日は40分の坐禅が2本だったため、その後またしても40分の坐禅に突入する。1回目とは左右の足を逆にして坐ってみた。腰痛持ちなので、2回目の組み方だと腰にきたが、後の祭り。これは堪えるしかない。1回目よりも身体が安定せず、かつ体温調節がうまくいかないため嫌な汗が滲んでくる。集中できない。汗がひいて落ち着きを一瞬取り戻しても、また身体が火照ってきて気になる。雑念は左から右に流してください、と指導されていたが、気になって仕方がない。半分を過ぎたあたりから足の痺れがきつくなってくる。合掌してから、組み替えてもいいと指導されていたが、1回目が終わったあとも足を解くのに難儀していたため我慢してみた。しかし、だんだんと耐えられないくらいの痺れになってくる。滲む程度で済んでいた汗が、噴き出しはじめた。いよいよダメかと思って、合掌の上、足を解こうとしたが、やはり簡単には解けない。大きな動作になると物音が出そうだったので、我慢を決め込むことにした。額や首筋にかいた汗が、顔にまで流れはじめた頃、ようやく終了の鐘が鳴らされた。足をなんとか解き、内単から降りるのも一苦労。その後決められた歩き方で堂を出ないといけないのだが、まともに立てない、歩けない。よろけるよろける。僕と左隣の初心者も同様で、フラフラしていた。
フーッ、こりゃ苦行だ。
続けられるか、ちょっと自信なし。先日の楽しいワークショップとはエライ違いだった。修行というくらいだから当たり前なんだろうけど。
そんなこんなで終わったのであった。
2005年
11月
23日
(水)
00:10 |
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先週月曜から冷え込みが一段と増し、初冬ワードローブになった。
ここ2年世話になったダウンジャケットをとりあえず引っ張り出したが、
今年は新しいアウターを買おうと心に決めた。
パープルの光沢あるダウンを原宿まで探しに出掛けたけど、
モンクレールしかそそられるのがない。試着してみると、軽くて抜群に着心地がいい。
でも、値段も飛び抜けて高い。
ネットで探してみると、2〜3割安いけどカラー&サイズがない。
もうしばらくは探さないとならんな。
ここ2年世話になったダウンジャケットをとりあえず引っ張り出したが、
今年は新しいアウターを買おうと心に決めた。
パープルの光沢あるダウンを原宿まで探しに出掛けたけど、
モンクレールしかそそられるのがない。試着してみると、軽くて抜群に着心地がいい。
でも、値段も飛び抜けて高い。
ネットで探してみると、2〜3割安いけどカラー&サイズがない。
もうしばらくは探さないとならんな。
2005年
11月
16日
(水)
01:08 |
編集
本日、禅のワークショップに行ってきた。
僕を含めて7名の参加者がいた。
ざっと見るに、ほとんどが60歳を過ぎた年配の方で、僕は断トツの最年少。7名中3名が、ガンを患い手術で生き延びた人々だった。再発の可能性を感じながら生活していて、そこで仏教(坐禅)に興味をもったらしい。
その内のひとりが自己紹介時になかば半笑いで言った。「病気になったら仏教じゃないですか」。主宰の禅僧が「そうなんですか?」と苦笑混じりに聞き返していた。どっちの気持ちも分かるなぁ。一般市民は具体的な救いを求めるからこそ宗教に行くわけだし、禅僧からすると己の信仰をなにか矮小化された気分を感じたのだろう。
そのひとりの何気ない一言は、最大の新興宗教団体に多くの人を吸引する理由と一致するところがあるのではないか。その会話を聞きながら思った。
2〜3時間のワークショップのメニュー
身体の各部位の意識化→連想言葉継ぎゲーム→フルーツバスケット→坐禅の実践
身体をリラックスさせ潜在化している感覚を意識化すること。
思考を経ないで感じたままの表現をすること。
起こっている事に対して、一心に集中すること。
禅僧は具体的にそう言ったわけではないが、僕はそう解釈した。
「燃えよドラゴン」の“Don't think,feel”まんまな気がした。
最後の約20分の坐禅は、とても興味深いものだった。
初心者なので、足は痛いわ、小便はしたいわ、放屁を我慢しなきゃいけないわ、呼吸の仕方が分からなくなって息苦しくなるわ…その他もろもろの雑念がとめどなく湧き出してくる。
そんなさなか、非常に面白いことが僕の中に同時進行で起こっていた。
目を開けて一点を凝視していると、対面に座っていた3人の像がおぼろげになり重なり合い、やがて融けあってきた。あたかも、異次元の世界が表出したようだった。かなりトリッピーで楽しい。いわゆるナチュラルハイ状態。アルコールと音楽の合作でトランス経験はあるが、完全な無音環境かつ不動状態で感じたのは初めてだった。
坐禅終了後、参加者が感想を発表しあう。
別の参加者が“雑念”について話したとき、禅僧は言った。
「雑念を振り払おうと、その意識に拘泥することは“雑念の雑念”である」
意外だった。そもそも禅の世界は“無”とか“空”を求める世界じゃなかったか?
さらに禅僧は言った。「無よりもその浮かんだ意識に集中することが大事なのです」
concentrate > be empty と今日のところは勝手に解釈した。
僕はトリッピーに感じたことを質問してみた。
別の参加者も似たようなことを感じたらしく、相鎚をうっていた。
禅僧は言った。「いいんじゃないですか、感じたままでいいんです」
ビートルズの“Let it Be”じゃんか。なんかスゴイぞ。
というワークショップだった。
坐禅は僕に合いそうな気がした。次は坐禅会にチャレンジしてみようと思う。
ここまでの解釈は非常に浅いと思われますがお許しください。
追伸
それにしても、人間歳を取るとなぜ話が無駄に長くなるのか。空気を読めなくなる、もしくは読まなくなるんだな。最近仕事で関わっている老境の大先生も同じなのだ。ホトホト参る…。
僕を含めて7名の参加者がいた。
ざっと見るに、ほとんどが60歳を過ぎた年配の方で、僕は断トツの最年少。7名中3名が、ガンを患い手術で生き延びた人々だった。再発の可能性を感じながら生活していて、そこで仏教(坐禅)に興味をもったらしい。
その内のひとりが自己紹介時になかば半笑いで言った。「病気になったら仏教じゃないですか」。主宰の禅僧が「そうなんですか?」と苦笑混じりに聞き返していた。どっちの気持ちも分かるなぁ。一般市民は具体的な救いを求めるからこそ宗教に行くわけだし、禅僧からすると己の信仰をなにか矮小化された気分を感じたのだろう。
そのひとりの何気ない一言は、最大の新興宗教団体に多くの人を吸引する理由と一致するところがあるのではないか。その会話を聞きながら思った。
2〜3時間のワークショップのメニュー
身体の各部位の意識化→連想言葉継ぎゲーム→フルーツバスケット→坐禅の実践
身体をリラックスさせ潜在化している感覚を意識化すること。
思考を経ないで感じたままの表現をすること。
起こっている事に対して、一心に集中すること。
禅僧は具体的にそう言ったわけではないが、僕はそう解釈した。
「燃えよドラゴン」の“Don't think,feel”まんまな気がした。
最後の約20分の坐禅は、とても興味深いものだった。
初心者なので、足は痛いわ、小便はしたいわ、放屁を我慢しなきゃいけないわ、呼吸の仕方が分からなくなって息苦しくなるわ…その他もろもろの雑念がとめどなく湧き出してくる。
そんなさなか、非常に面白いことが僕の中に同時進行で起こっていた。
目を開けて一点を凝視していると、対面に座っていた3人の像がおぼろげになり重なり合い、やがて融けあってきた。あたかも、異次元の世界が表出したようだった。かなりトリッピーで楽しい。いわゆるナチュラルハイ状態。アルコールと音楽の合作でトランス経験はあるが、完全な無音環境かつ不動状態で感じたのは初めてだった。
坐禅終了後、参加者が感想を発表しあう。
別の参加者が“雑念”について話したとき、禅僧は言った。
「雑念を振り払おうと、その意識に拘泥することは“雑念の雑念”である」
意外だった。そもそも禅の世界は“無”とか“空”を求める世界じゃなかったか?
さらに禅僧は言った。「無よりもその浮かんだ意識に集中することが大事なのです」
concentrate > be empty と今日のところは勝手に解釈した。
僕はトリッピーに感じたことを質問してみた。
別の参加者も似たようなことを感じたらしく、相鎚をうっていた。
禅僧は言った。「いいんじゃないですか、感じたままでいいんです」
ビートルズの“Let it Be”じゃんか。なんかスゴイぞ。
というワークショップだった。
坐禅は僕に合いそうな気がした。次は坐禅会にチャレンジしてみようと思う。
ここまでの解釈は非常に浅いと思われますがお許しください。
追伸
それにしても、人間歳を取るとなぜ話が無駄に長くなるのか。空気を読めなくなる、もしくは読まなくなるんだな。最近仕事で関わっている老境の大先生も同じなのだ。ホトホト参る…。
2005年
11月
15日
(火)
15:20 |
編集
昨日の記者会見を見るに、小川と吉田は本当に犬猿の仲と思える。
しっかりヒリヒリ感が伝わってきた。
この手のマッチメークは新日本プロレスの十八番だったんだよなぁ。
その新日本はといえば、緊張感のない説得力ゼロの試合を垂れ流し、手をこまねいていたら、身売りとあいなった。新日本のパイを食った商売敵が、新日本的なマッチメークを発表したその日に。
そもそも猪木が売った50%強の株って、猪木のものだったの? たしか佐川の亡くなった会長所有で猪木が預かってただけじゃなかったっけ? 草間前社長のプチ暴露では、猪木にはなんら権限がないのに…と言ってた気が? 猪木にいつの間にか無償もしくは格安で譲渡されてたの? そうだったとしたら資金の出所はどこだったの? グチャグチャすぎて、よく分かりません。
年間売上高が30億円程度で、レスラー&フロントが80名もいる。利益率10%(新日本のドンブリ勘定ではそれも無理だろうが)出したとしても、単純に人数で割って1人375万円。最低半分まで減らさないとキツイだろうね。上場会社のユークスは大鉈をふるわない(役員も派遣しない)らしいが、大丈夫かいな?
しっかりヒリヒリ感が伝わってきた。
この手のマッチメークは新日本プロレスの十八番だったんだよなぁ。
その新日本はといえば、緊張感のない説得力ゼロの試合を垂れ流し、手をこまねいていたら、身売りとあいなった。新日本のパイを食った商売敵が、新日本的なマッチメークを発表したその日に。
そもそも猪木が売った50%強の株って、猪木のものだったの? たしか佐川の亡くなった会長所有で猪木が預かってただけじゃなかったっけ? 草間前社長のプチ暴露では、猪木にはなんら権限がないのに…と言ってた気が? 猪木にいつの間にか無償もしくは格安で譲渡されてたの? そうだったとしたら資金の出所はどこだったの? グチャグチャすぎて、よく分かりません。
年間売上高が30億円程度で、レスラー&フロントが80名もいる。利益率10%(新日本のドンブリ勘定ではそれも無理だろうが)出したとしても、単純に人数で割って1人375万円。最低半分まで減らさないとキツイだろうね。上場会社のユークスは大鉈をふるわない(役員も派遣しない)らしいが、大丈夫かいな?
2005年
11月
14日
(月)
10:38 |
編集
以前から坐禅には非常に興味があった。
東京にはいくつか禅寺があると聞いていたので、本気になって調べてみた。
そしたら、あるある。いいとこ3〜4軒だと思ってたけど、ざっと30軒くらいはあろうか。
一番通いやすい寺院は毎週日曜日にやってるのだが、いかんせん朝6:30からなのだ。
次に近いところが、毎週土曜日で19:00なので、ここにしようかと決める。
その前に「禅ワークショップ」なるものを発見。坐禅会の前に行ってみようということで、参加申し込みをした。楽しみ楽しみ。
東京にはいくつか禅寺があると聞いていたので、本気になって調べてみた。
そしたら、あるある。いいとこ3〜4軒だと思ってたけど、ざっと30軒くらいはあろうか。
一番通いやすい寺院は毎週日曜日にやってるのだが、いかんせん朝6:30からなのだ。
次に近いところが、毎週土曜日で19:00なので、ここにしようかと決める。
その前に「禅ワークショップ」なるものを発見。坐禅会の前に行ってみようということで、参加申し込みをした。楽しみ楽しみ。
2005年
11月
14日
(月)
09:43 |
編集
こんな歳なのに、四十肩、五十肩になってしまった。
1週間前くらいから、いつもの肩コリとは違って肩が上がりづらいのだ。いくつかの行きつけのマッサージ屋の中でも、これを軽くできるのは、A先生しかいない。ということで、仕事を抜け出して90分フルコースで、上半身のみほぐしてもらう。おかげで4日目の今も若干の違和感は残るが、着衣時のつらさはなくなった。A先生自身は治るまで1年くらい掛かったらしいし、ネットで調べたら、半年から1年痛む場合もあるが自然治癒する、と書いてあったのでひと安心か。
表面的な美醜における老化はさほど気にならないが、身体機能に現れる老化っつうのはイヤなもんですな。そんなこんなで昨日日曜日はチャリを3〜4時間も漕いだ。おかげでケツ筋および腰まわりが張りまくり。
さぁ、また新しい1週間が始める。がんばるぞ。
1週間前くらいから、いつもの肩コリとは違って肩が上がりづらいのだ。いくつかの行きつけのマッサージ屋の中でも、これを軽くできるのは、A先生しかいない。ということで、仕事を抜け出して90分フルコースで、上半身のみほぐしてもらう。おかげで4日目の今も若干の違和感は残るが、着衣時のつらさはなくなった。A先生自身は治るまで1年くらい掛かったらしいし、ネットで調べたら、半年から1年痛む場合もあるが自然治癒する、と書いてあったのでひと安心か。
表面的な美醜における老化はさほど気にならないが、身体機能に現れる老化っつうのはイヤなもんですな。そんなこんなで昨日日曜日はチャリを3〜4時間も漕いだ。おかげでケツ筋および腰まわりが張りまくり。
さぁ、また新しい1週間が始める。がんばるぞ。
2005年
11月
07日
(月)
02:01 |
編集
昨日11/6(日)の東京は、本当に寒かった。
降りそぼる雨とあいまって、非常に身体にこたえる寒さだった。
フリース2枚重ねの上からキルティングジャケットを羽織ってもまだ寒い。毛布にくるまってしのごうとしたのだが、ん?待てよ、エアコンあるじゃん…。そんな簡単なことに気づくのに半日もかかった(苦笑)。脳の老化が進んでるのだろうか…? 暖房をつけたら快適、快適。ようやく布団から這い出し、こうやってブログのまとめ書きをしている。
冬の気配か…。東京は3月中旬くらいまでは冬って感じかな? とすると、4ヶ月間も冬ってことになる。上京したての頃は、東京の冬ってなんてあったかくて短いんだと思ってた。東京生活も16年になり、いざ、そのとば口に立ってみると、なぜかこれから来る時間が遠く感じてしまう。北国育ちの寒さに免疫のあるはずの身体が軟弱になっているのだろうか?
そういえば昨日、僕の郷里S市の悪友から3年ぶりの電話が入る。悪友仲間のSが11/12に結婚式で、その日の夜に、地元の人間を集めてバカ騒ぎをやるとの連絡。小・中学校時代の同級生だから、中学校を卒業して以来20年も会ってない奴も来る模様。そそられる。これだけ時間が流れると、風の便りすらも届かなくなってくる中、嬉しい誘いだ。1%の確率で行くかも、と答えておいたが、こうやって記録してると、けっこう前向きになってくる。
中学卒業からはあっという間の20年だった。これから来たる4ヶ月間の冬は長く感じる。
世の中の時計は正しく動いているのだろうか?と疑いたくなってしまう。
が、先を長く感じられるのは、いいことかもしれない。いろいろできる時間があるわけだから。
明日の東京は、あったかいようだから、とりあえずホッと一息か。
降りそぼる雨とあいまって、非常に身体にこたえる寒さだった。
フリース2枚重ねの上からキルティングジャケットを羽織ってもまだ寒い。毛布にくるまってしのごうとしたのだが、ん?待てよ、エアコンあるじゃん…。そんな簡単なことに気づくのに半日もかかった(苦笑)。脳の老化が進んでるのだろうか…? 暖房をつけたら快適、快適。ようやく布団から這い出し、こうやってブログのまとめ書きをしている。
冬の気配か…。東京は3月中旬くらいまでは冬って感じかな? とすると、4ヶ月間も冬ってことになる。上京したての頃は、東京の冬ってなんてあったかくて短いんだと思ってた。東京生活も16年になり、いざ、そのとば口に立ってみると、なぜかこれから来る時間が遠く感じてしまう。北国育ちの寒さに免疫のあるはずの身体が軟弱になっているのだろうか?
そういえば昨日、僕の郷里S市の悪友から3年ぶりの電話が入る。悪友仲間のSが11/12に結婚式で、その日の夜に、地元の人間を集めてバカ騒ぎをやるとの連絡。小・中学校時代の同級生だから、中学校を卒業して以来20年も会ってない奴も来る模様。そそられる。これだけ時間が流れると、風の便りすらも届かなくなってくる中、嬉しい誘いだ。1%の確率で行くかも、と答えておいたが、こうやって記録してると、けっこう前向きになってくる。
中学卒業からはあっという間の20年だった。これから来たる4ヶ月間の冬は長く感じる。
世の中の時計は正しく動いているのだろうか?と疑いたくなってしまう。
が、先を長く感じられるのは、いいことかもしれない。いろいろできる時間があるわけだから。
明日の東京は、あったかいようだから、とりあえずホッと一息か。
2005年
11月
07日
(月)
01:28 |
編集
またしても、読書日記をつけそびれそうになる。
高橋源一郎「官能小説家」読了。
恥ずかしながら、最近になって氏の小説を読み始めたばかりである。「さようなら、ギャングたち」に圧倒され、その次に読んだのがこれになる。いずれも、時間軸がグチャグチャになって展開されていくので、ストーリーに入り込めるまで若干時間が掛かる。いったん入り込んでしまうと、ガンガン読み進められる。もうちょっと早く知っときゃよかった。評論家じゃないのでよく分からんのだけど、時代のアイコン選びのセンスがPOPで好きだなあ。僕自身は、これらのPOPアイコンによってリアリティを感じる。
作中の半井桃水と樋口夏子の会話から。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
人は果たして言い訳以外のことをいえる、あるいは書けるだろうか。
恋愛をしている時に、恋愛のことは書けない。みんな終わってしまってから書く。好きだった、でもダメだった。愛してた、でも棄てた。戦争をしている時に、戦争のことは書けない。みんな終わってから書く。戦争に行った、殺した、ごめん。ただもう生きてるだけだって、その時には書けない。少したって、そのことが終わってから書く。生まれた、いじめた、ぐれた、いろいろあった、ごめん。
被害者でも一緒だよ。生まれた、いじめられた、傷ついた、いろいろあった、そのせいでこんなになった、ごめん。みんな言い訳だ。ぼくたちは現場ではなにもできなかった。ただ見ていた。どこが現場かわからなかった。現場に行き損ねた。現場から逃げた。そういうわけで、現場で起こったことを脚色してお伝えします。みんな言い訳だ。そして、言い訳のほかにぼくたちが書くことはなにもないのだ。
きみが覚えなければならないのはそのことなんだ。つまり、この世でいちばんカッコ悪い仕事なのさ、書くことは!
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
14歳のあたしと48歳のヤナセの援助交際を描いた、作中の架空短編小説「チェリー・インザダーク」の一説より。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
会う度に官能の喜びは増した。それは少女も男も同じであった。そして、官能の喜びが限度を超えて高まるにつれ、なぜかふたりは覚醒していくような気がした。
ふたりにあったのは理由のない喜びと恐怖であった。そしてその喜びには限りはなく、恐怖にもまた限りがなかった。
どこにも未来はなく、過去にも戻れなかった。正しいと主張することはできず、けれども間違いとはいいたくなかった。
ふたりが行ける場所はどこにもなかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
世の中、男と女しかいないが、僕自身そこのところの本質がよく分からなくなる。
何が正しくて、何が間違ってるのか? これまで僕は、数多くの間違いを犯してきたと思っているが、もしかしたら正しかったのかもしれない。その自分でよく知ってるはずの歴史さえも、死ぬまで正しく自己評価できないんだろうな。
高橋源一郎「官能小説家」読了。
| 官能小説家 高橋 源一郎 (2005/05/12) 朝日新聞社 この商品の詳細を見る |
恥ずかしながら、最近になって氏の小説を読み始めたばかりである。「さようなら、ギャングたち」に圧倒され、その次に読んだのがこれになる。いずれも、時間軸がグチャグチャになって展開されていくので、ストーリーに入り込めるまで若干時間が掛かる。いったん入り込んでしまうと、ガンガン読み進められる。もうちょっと早く知っときゃよかった。評論家じゃないのでよく分からんのだけど、時代のアイコン選びのセンスがPOPで好きだなあ。僕自身は、これらのPOPアイコンによってリアリティを感じる。
作中の半井桃水と樋口夏子の会話から。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
人は果たして言い訳以外のことをいえる、あるいは書けるだろうか。
恋愛をしている時に、恋愛のことは書けない。みんな終わってしまってから書く。好きだった、でもダメだった。愛してた、でも棄てた。戦争をしている時に、戦争のことは書けない。みんな終わってから書く。戦争に行った、殺した、ごめん。ただもう生きてるだけだって、その時には書けない。少したって、そのことが終わってから書く。生まれた、いじめた、ぐれた、いろいろあった、ごめん。
被害者でも一緒だよ。生まれた、いじめられた、傷ついた、いろいろあった、そのせいでこんなになった、ごめん。みんな言い訳だ。ぼくたちは現場ではなにもできなかった。ただ見ていた。どこが現場かわからなかった。現場に行き損ねた。現場から逃げた。そういうわけで、現場で起こったことを脚色してお伝えします。みんな言い訳だ。そして、言い訳のほかにぼくたちが書くことはなにもないのだ。
きみが覚えなければならないのはそのことなんだ。つまり、この世でいちばんカッコ悪い仕事なのさ、書くことは!
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
14歳のあたしと48歳のヤナセの援助交際を描いた、作中の架空短編小説「チェリー・インザダーク」の一説より。
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会う度に官能の喜びは増した。それは少女も男も同じであった。そして、官能の喜びが限度を超えて高まるにつれ、なぜかふたりは覚醒していくような気がした。
ふたりにあったのは理由のない喜びと恐怖であった。そしてその喜びには限りはなく、恐怖にもまた限りがなかった。
どこにも未来はなく、過去にも戻れなかった。正しいと主張することはできず、けれども間違いとはいいたくなかった。
ふたりが行ける場所はどこにもなかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
世の中、男と女しかいないが、僕自身そこのところの本質がよく分からなくなる。
何が正しくて、何が間違ってるのか? これまで僕は、数多くの間違いを犯してきたと思っているが、もしかしたら正しかったのかもしれない。その自分でよく知ってるはずの歴史さえも、死ぬまで正しく自己評価できないんだろうな。
2005年
11月
07日
(月)
01:08 |
編集

dictionary106の『創刊100号記念特別対談シリーズ』、
坂本龍一(音楽家)×茂木健一郎(脳科学者)が非常におもしろかった。Webでも読めます。
特に、オリジナリティとサンプリングのことを言ってるくだりが共感できた。
坂本:そもそもオリジナリティって、すごく難しい。人間の営為のほとんどは引用であるわけで、根本的な意味でのオリジナリティなんていうのはありえない気もする。
茂木:よく養老孟司さんが、本当にオリジナルな人は精神病院に入ってるっていうのと同じですよね(笑)。
坂本:そうそう(笑)。人間が社会的に生きていくということは、目に見えない規範や様式にそって、その囲いの中で与えられた役割を生きていくってことですからね。
あの教授ですら、自らの作品でもオリジナリティの部分は5%程度がいいところで、95%は万人が共通に使える過去の資産としてのアーカイブの文脈から成り立っていると言っている。
功を遂げる人は、そこの部分に実は自覚的なのではないか?
デザイン家電「amadana」で最近勢いのある鄭秀和にしても、いい意味で、彼の好きなオールドスクール的なサンプリングの匂いを感じる。
オリジナルじゃない、オリジナル「的」なものを生み出すには、万人共通のアーカイブ=「知」の集積を、我が身に吸収することから始まるんだろうな。
2005年
11月
04日
(金)
10:55 |
編集
今日は11/4。
祝日と土曜日の狭間のため、通勤電車は、いつもに比べて余裕がある。
朝起きてからも、手足がなかなか温まらなくなってきた。
1ヶ月前に、半袖Tシャツ1枚から長袖になり、その1ヶ月後にはTシャツが肌着に、長袖シャツ1枚にアウタージャケットが重なった。
あと1週間もすれば、ほぼ冬の装いになりそうだ。
3月から入居している現在の仮住まいは、朝晩の冷え込みがとてもつらい。
今後の身の処し方とともに考えなければならない。
祝日と土曜日の狭間のため、通勤電車は、いつもに比べて余裕がある。
朝起きてからも、手足がなかなか温まらなくなってきた。
1ヶ月前に、半袖Tシャツ1枚から長袖になり、その1ヶ月後にはTシャツが肌着に、長袖シャツ1枚にアウタージャケットが重なった。
あと1週間もすれば、ほぼ冬の装いになりそうだ。
3月から入居している現在の仮住まいは、朝晩の冷え込みがとてもつらい。
今後の身の処し方とともに考えなければならない。
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