2005年
12月
22日
(木)
12:08 |
編集
仕事の忙しさにかまけて、ブログの更新を怠けている。
一度行った坐禅会もそれきりになっている。
本は読んでいるんだが、読書記録をつけていない。
何事もサラッと継続できる人間になりたい…。
一度行った坐禅会もそれきりになっている。
本は読んでいるんだが、読書記録をつけていない。
何事もサラッと継続できる人間になりたい…。
2005年
12月
08日
(木)
02:30 |
編集
久しぶりの更新。日記というのは、習慣性が抜けてしまうとなかなか復活できない。
書こう書こうと思って2週間…。ひと思いに書くとする。
僕がここ数年、毎号買う唯一の雑誌に『紙のプロレス』(旧誌名)がある。
ハッスル イベントプロデューサー兼『kamipro』(最新号からリニューアル)にて、編集長・山口日昇氏が、巻頭の『ハッスル・マニア2005』はプロレスが“脱・宗教”した記念日だ!! で興味深いことを言ってる。(以下引用)
―いままではプロレス界に関わるには、選手であれば新弟子として入門して、丸坊主にして、ちゃんこを吐くまで食べて、先輩のイジメに耐えて、ようやくデビューして、そしてその奥にあるケーフェイの芯を細胞レベルで把握するまで何年、何十年とかかった。ある種のイニシエーションを受けなければなかったわけでしょ。それは、プロレスファンもプロレスマスコミも一緒で、「プロレスの経典」を隈なく読んでイニシエーションを受けた者たちだけが“共犯意識”を持って世界を形成していた。
〜中略〜
イニシエーションを受けたものしか“共犯意識”を持てなかった世界から、イニシエーションを受けていないHG、インリン様、和泉元彌たちが入ってきてもOKな世界になったということは、つまりプロレスが「脱・宗教」という場面転換をしたということですよ。
〜中略〜
激しい修行を積んで、何段階ものイニシエーションを受けなくてもプロレスはできるものなんだということを見せてる。それを受け入れるかどうかの時期に来ている、というより、とっくに業界よりも世間のほうが先に進んでるんだよね。―
山口氏は、プロレス界で機能不全に陥っていた修行システムをとっぱらってしまったわけだ。
最近興味をもって覗いていた禅宗の世界と、類似項が非常に多い。
まず、頭を丸めてその共同体への忠誠心を示すことにはじまる。
厳格かつ理不尽なタテ社会の掟に触れ、自我を徹底的に破壊させられる。
極限近くまでのシゴキ(かわいがり)を受ける(≒イニシエーション)。
組織の論理・掟を、頭でなく身体に分からせる。
破壊された自我が、組織の論理にのっとった形で再生される。
代々、イニシエーションを下の者に施していく。
日本における伝統文化の継承法としては一番の王道だろう。
僕も、学生時代の部活や社会人生活の初期には、洗礼を受けている。
そんなことを書いた僕自身はいま、まるで逆の世界で働く中間管理職だ。
ベンチャー系IT企業なので、年功序列がない“実力主義“を標榜している。
ほとんどが中途採用の即戦力扱いでの入社。下をシゴクなどもってのほかという社風だ。
これはこれで困った問題が起こっている。
ドメスティックな歴史ある会社であれば、年齢構成に配慮した人事政策がそれなりに行われているため、タテ社会的な継承システムが生きている。教える者が配置され、その立場につくと業務量は多少軽減され、教育する新参者を一人前にすることもミッションの一部として認められる。下をいち早く機能させれば、上がラクをできる。
僕がやっている媒体は、最低限のメディアリテラシーが必要なため、既存メディアでの経験者を採用している。どこもやっていなかった手法を用いているので、1〜2年は修行期間としてこちらの掟を体感してもらってはじめて使い物になる。厳しい言い方をすると、即戦力は存在しない。が、なまじハンパな経験者を採るので、自分を過大評価した輩が多い。いったん鼻をヘシ折らなければならない局面が出てくる。自己に足りない部分を認識してもらい、謙虚になって学んでもらう必要があるのだ。
ちなみに、僕のチームの構成員はほぼ同世代。メディア歴5〜10年選手がほとんど。前職でそれなりの経験をしてきたつもりの人間が多い。他業界から転職してきても、別の理屈で動いている業界なので、与えられるポジションは低い。しかしながら、社内の他部署に比べて年齢層が高い。ちょっとばかり不満分子が発生しやすい環境だ。1〜2年も同じチームでやると空気が澱んでしまう。業務が若干特殊なため、社内での人材シャッフルはほぼ不可能という現状。
本来はマンツーマンに近い形で教育したいのだが、自らのマネージメント業務に「人を育てる」というアカウンタビリティが認められないし、また余裕もないため、いわば放し飼い状態になってしまい人が育たない。また、即戦力として一端の人間として扱わないと辞められてしまう怖れもあるため、結局はなかなかラクになれないという悪循環に陥っている。
最近、自分の業界に、体育会系的継承システムの注入が必要だと思っている。
僕自身、体育会系的な土壌で仕事を学んだ。理不尽な仕打ちを受け、プライドもくそもあったもんじゃなかった。数々痛い目をみて、失敗の中から仕事のやり方を見つけた。そうしていくうちに、あらゆる局面で上手く立ち回れるようになってきた。理屈じゃなく、身体で覚えた。山口氏いうところの細胞レベルで理解できた。
そんな経験から、何かの職能を得る時は理不尽な修行期間が必要ではないか、との思いが日に日に強くなっている。
そんなこんなで現在は、手垢のついていないまっさらな人材をイチから育てようと試みている。
(これはこれで大変なことなのだけれども…)
が、行き過ぎるとプロレス界みたいなことになってしまう危険性も孕んでいる。
要はバランス、サジ加減なのだと思う。だけれども、言うは易く、行なうは難し。
そんなことを思う今日この頃だ。
書こう書こうと思って2週間…。ひと思いに書くとする。
僕がここ数年、毎号買う唯一の雑誌に『紙のプロレス』(旧誌名)がある。
ハッスル イベントプロデューサー兼『kamipro』(最新号からリニューアル)にて、編集長・山口日昇氏が、巻頭の『ハッスル・マニア2005』はプロレスが“脱・宗教”した記念日だ!! で興味深いことを言ってる。(以下引用)
―いままではプロレス界に関わるには、選手であれば新弟子として入門して、丸坊主にして、ちゃんこを吐くまで食べて、先輩のイジメに耐えて、ようやくデビューして、そしてその奥にあるケーフェイの芯を細胞レベルで把握するまで何年、何十年とかかった。ある種のイニシエーションを受けなければなかったわけでしょ。それは、プロレスファンもプロレスマスコミも一緒で、「プロレスの経典」を隈なく読んでイニシエーションを受けた者たちだけが“共犯意識”を持って世界を形成していた。
〜中略〜
イニシエーションを受けたものしか“共犯意識”を持てなかった世界から、イニシエーションを受けていないHG、インリン様、和泉元彌たちが入ってきてもOKな世界になったということは、つまりプロレスが「脱・宗教」という場面転換をしたということですよ。
〜中略〜
激しい修行を積んで、何段階ものイニシエーションを受けなくてもプロレスはできるものなんだということを見せてる。それを受け入れるかどうかの時期に来ている、というより、とっくに業界よりも世間のほうが先に進んでるんだよね。―
山口氏は、プロレス界で機能不全に陥っていた修行システムをとっぱらってしまったわけだ。
最近興味をもって覗いていた禅宗の世界と、類似項が非常に多い。
まず、頭を丸めてその共同体への忠誠心を示すことにはじまる。
厳格かつ理不尽なタテ社会の掟に触れ、自我を徹底的に破壊させられる。
極限近くまでのシゴキ(かわいがり)を受ける(≒イニシエーション)。
組織の論理・掟を、頭でなく身体に分からせる。
破壊された自我が、組織の論理にのっとった形で再生される。
代々、イニシエーションを下の者に施していく。
日本における伝統文化の継承法としては一番の王道だろう。
僕も、学生時代の部活や社会人生活の初期には、洗礼を受けている。
そんなことを書いた僕自身はいま、まるで逆の世界で働く中間管理職だ。
ベンチャー系IT企業なので、年功序列がない“実力主義“を標榜している。
ほとんどが中途採用の即戦力扱いでの入社。下をシゴクなどもってのほかという社風だ。
これはこれで困った問題が起こっている。
ドメスティックな歴史ある会社であれば、年齢構成に配慮した人事政策がそれなりに行われているため、タテ社会的な継承システムが生きている。教える者が配置され、その立場につくと業務量は多少軽減され、教育する新参者を一人前にすることもミッションの一部として認められる。下をいち早く機能させれば、上がラクをできる。
僕がやっている媒体は、最低限のメディアリテラシーが必要なため、既存メディアでの経験者を採用している。どこもやっていなかった手法を用いているので、1〜2年は修行期間としてこちらの掟を体感してもらってはじめて使い物になる。厳しい言い方をすると、即戦力は存在しない。が、なまじハンパな経験者を採るので、自分を過大評価した輩が多い。いったん鼻をヘシ折らなければならない局面が出てくる。自己に足りない部分を認識してもらい、謙虚になって学んでもらう必要があるのだ。
ちなみに、僕のチームの構成員はほぼ同世代。メディア歴5〜10年選手がほとんど。前職でそれなりの経験をしてきたつもりの人間が多い。他業界から転職してきても、別の理屈で動いている業界なので、与えられるポジションは低い。しかしながら、社内の他部署に比べて年齢層が高い。ちょっとばかり不満分子が発生しやすい環境だ。1〜2年も同じチームでやると空気が澱んでしまう。業務が若干特殊なため、社内での人材シャッフルはほぼ不可能という現状。
本来はマンツーマンに近い形で教育したいのだが、自らのマネージメント業務に「人を育てる」というアカウンタビリティが認められないし、また余裕もないため、いわば放し飼い状態になってしまい人が育たない。また、即戦力として一端の人間として扱わないと辞められてしまう怖れもあるため、結局はなかなかラクになれないという悪循環に陥っている。
最近、自分の業界に、体育会系的継承システムの注入が必要だと思っている。
僕自身、体育会系的な土壌で仕事を学んだ。理不尽な仕打ちを受け、プライドもくそもあったもんじゃなかった。数々痛い目をみて、失敗の中から仕事のやり方を見つけた。そうしていくうちに、あらゆる局面で上手く立ち回れるようになってきた。理屈じゃなく、身体で覚えた。山口氏いうところの細胞レベルで理解できた。
そんな経験から、何かの職能を得る時は理不尽な修行期間が必要ではないか、との思いが日に日に強くなっている。
そんなこんなで現在は、手垢のついていないまっさらな人材をイチから育てようと試みている。
(これはこれで大変なことなのだけれども…)
が、行き過ぎるとプロレス界みたいなことになってしまう危険性も孕んでいる。
要はバランス、サジ加減なのだと思う。だけれども、言うは易く、行なうは難し。
そんなことを思う今日この頃だ。
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